人間の一生

午前予定がなくテレビでぶらぶら。
夕方北医療センターまでヤイ子を迎いに行き一緒にマツイさんの見舞い。今日も病状はあまり良くない、手が震い体全体も震いる。マツイさんも波瀾万丈な一生だった、あと半年で100歳何時も馬越で一番長生きしたと喜んでだり、反面何でお迎いが来ないのかと嘆いたり。苦労話を何度も聞かされた、小学生の時関本からいわきに移住苦労して育ったこと、二人の子供がいた有馬さんの後妻になり子の後戦争で馬越に疎開、俺が小学3年生の頃か、有馬さんは篭つくりの職人、夫が作った篭をマツイさんは売り歩いていた、家も建て母親と姉を引き取り本当に良く働いていた、有馬さんの死後デソクネ息子に手を焼き有馬家から離別、家を売却施設に逃げ込んで現在まで、楽も有ったかも知れないが傍からら見ていて苦労の連続の様に思いる。